男は苛苛と薄暗い廊下を歩き回る。身重の妻が、呼び寄せた医師や看護師と産室に籠ってから、随分と経った。4時間は経ったろうか。扉の内側からは、妻の悲鳴と誰かを罵る声が聞こえる。
 程なくして医師が扉の外、男の前に現れた。『経過は順調、母子ともに今の時点ではまったく異常はありません。早々にに出産となるでしょう』手にはめたプラスティックグローブを外しながら医師はそう説明した。『順調?』そんな訳があるものか、あの美しい妻が美貌を歪ませ、悲鳴を上げているではないか。男は医師に詰め寄る。しかし、医師はその皺面に笑顔を浮かべて言い返した。『出産とはそういうものですよ』と。
 『嫌、もう嫌、何とかしてちょうだい』『私を殺すのならひと思いにそうなさい』悲鳴に混じる罵声。天上人の奏でる笛の音のようだった妻の声はもはや掠れ、地の底から響く亡者のそれのようだ。
 悲鳴が一際大きく聞こえた次の瞬間、産室の向こうで、わっと人の湧く気配がした。そして聞こえる、甲高い鳴き声、妻のものではない。それが新生児のそれであるとは、男には結び付けることができなかった。
 鳴き声が聞こえて10分も経った頃、漸く産室の扉が開いた。看護師が布に包まれたものを抱いていた。頭頂部が少しとがっている、何やら表面がぶよぶよしている、何やら生臭いにおいがする、それを看護師は『おめでとうございます。男のお子様ですよ』と男に差しだした。よくわからないその生き物が、美しい妻の、膨らみさえ美しかった妻の腹の中にいた我が子であるなど、男には信じられない。とにかく、これが妻の美貌を歪ませ、苦しめていたのだ。男は言葉もなく、差し出された布の塊を抱くこともできなかった。看護師は苦笑し、それからすぐに表情を改めた。

『大きな身体的欠陥はございませんが、ただ、ひとつだけ。お子様の左右の瞳の色が異なるのです。奥様にはまだお知らせにならない方がようございますわ。産後の女性というのは、わが子の外見上の問題に必要以上に神経質になるものですから』

 男は看護師の言葉に頷いた。とにかく、『これ』は妻をさらに苦しめる存在に違いない。男は看護師の言葉をそう理解した。


 肌の上をぞろりと這う舌が煩わしい。舌と同じく這う半白髪もまた煩わしい。しかし、快楽に慣れたロイエンタールの体に、それらはひとつひとつと官能の炎を灯していく。首筋を辿り、乳首へと辿り着いた舌の感覚に吐息が漏れた。両の手はオーベルシュタインに押さえつけられている。この男の膂力の強さにも驚いたが、触れる手や舌の熱さにも驚いた。冷血漢であるから、体温など存在しないかとさえ思っていたのに。
 ふいに、乳首を嬲るのを止めたオーベルシュタインが顔を上げて、ロイエンタールの瞳を覗きこんだ。青と黒のそれは官能の熱に潤み始めている。
「『熱に浮かされた卿の瞳は美しい』と何人の男に言われた?」
「…忘れた」
「ほう、忘れるほど多く言われたのか」
上がりはじめた息を整えながら短く答えたロイエンタールを面白そうに見下ろし、オーベルシュタインは乗り上がって、耳介の後ろに口付ける。そこに官能を刺激され、ロイエンタールは吐息を漏らして目を閉じた。
 よくあること。そう、忘れるほどによくあることだった。愛撫に濡れる金銀妖瞳を男たちは褒めそやし、耳に口づけながら囁く。『卿の瞳はなんと美しいのだろう』と。女たちもまた似たようなことを囁いた。『貴方の瞳は何て美しいのでしょう』と。
 うんざりだった。外見を褒めそやされるのも、瞳の色を褒められるのも、うんざりだった。こんなもの、何一つ望んで手に入れた物ではないのだから。母に抉られかけ、父に疎まれた瞳の何が……。
「『こんなものの何が美しいものか』かね?」
 笑いを含ませて耳に吹き込まれた声に、はっとしてロイエンタールは両眼を見開いた。官能によるものとは違う衝撃で鼓動が高鳴る。本当に、この男の人工の瞳には何が見えてるというのか。
「『自分が望んで手に入れた物ではない』のだろう?」
 再度、笑いを含めて耳に吹き込んでやれば、押さえていたロイエンタールの両手から面白いように力が抜けていった。押さえる手を離したところで、もう抵抗はないだろう。力の抜けた腕が物語る。手を離し、ロイエンタールの両脇に手を突いて白い顔を正面に見下ろせば、その黒い瞳は官能ではなく、恐怖に濡れていた。


「ああ、卿はまた『恐れ』ている。可哀そうに縮みあがってしまっているではないか」
 左腕はそのままに、先ほどまでは官能に震えて起ち上がりかけていたロイエンタールのペニスをやんわりと握ってやる。そこに残る官能の証はわずかににじみ出た先走り程度で、すっかりと萎えきってしまっている。握りこみ、それでも強く力は込めず、ゆるゆると扱いてやるが、変わらずそこに力は戻らない。
「卿の、卿の目には何が見えているというのだ…?」
 ロイエンタールは、だらりと両手を下ろしたまま、力なく問うた。オーベルシュタインは右手をロイエンタールの股間から外し、力ない彼の左手を握る。自身の頬に擦りつけ、深い笑みを浮かべた。
「普通の人間には見えないものが見える。…例えば、このゴールデンバウム王朝の最期。例えばローエングラム公の覇道の先。…例えば、卿の恐れているもの」
笑うオーベルシュタインにロイエンタールは言葉を失った。力の抜けた手は握られたまま、オーベルシュタインの目元へと運ばれた。
「先ほどの話の続きをしてやろうか。未熟児網膜症を患ったとはいえ、私は眼球を持っていたのだよ。視力を失ったがために、後は委縮するだけだったがね」
閉じた瞼にロイエンタールの手を触れさせてやる。その白い指先は僅かに震えていた。
「義眼にはいくつかの種類がある。表層だけを覆うものから、全眼球を模したものまで。視力を補うだけならば、表層義眼でも事は足りる。眼球の委縮を防ぐこともできる。だが、『彼ら』はそれを選ばなかった。何を選んだか、聡明な卿であればわかるだろう?」
 それまでされるがままだったロイエンタールの白い指先がはじめて自身の意思を持って動く。震えはそのままに、人工の眼球が埋まった眼窩をなぞった。
「…『眼球を抉り出された』」
 掠れた細い声で答え終えたところで、ロイエンタールの手の震えが大きくなる。それを強く握りしめると、オーベルシュタインは手を眼窩から離し、口付けた。
 重ねた手指の隙間からは恐怖に濡れる黒い瞳が見える。やはり、とオーベルシュタインは得心した。この美しい青年は自分と同じだ。金銀妖瞳は芸術家や愛人たちにとっては大層魅惑的だろう。だが、それを見た親はどう思う。真っ当に『親』になれる人物であれば、子の瞳の色が奇怪だからといって愛することを止めはしないだろう。だが、古い因習と愚かしい選民思想に溺れてきた貴族階級の屑どもであれば、どうか。子の瞳を抉り出そうとするのが当然だろう。


「卿の親は、卿の誕生を喜んだか、ロイエンタール?」
 震える手指に唇で愛撫を施しながら問えば、言葉は無いもののその表情が否と訴える。黒い瞳は変わらず濡れていた。
「そういうものだ、ロイエンタール。貴族どもなど『そういうもの』なのだ」
 愛撫の合間に、隙間から次は青い瞳を覗き見る。黒い瞳と同じように濡れてはいる。しかし、そこに浮かぶのは恐怖ではない。瞳の奥には青い炎が燃えていた。
 ああ、これこそ自分の人工の瞳と同じだ。抉り出され空っぽの眼窩に埋まった人工の瞳は禍々しい緑の光を放つ。憎しみの光だ。
 ロイエンタールの瞳の奥に憎しみの炎を見出し、オーベルシュタインは下腹に熱がこもるのを感じた。突きあげる衝動のまま、それまで愛撫を施していた手を払うと、ロイエンタールの股間に手を伸ばし、同時に耳元に唇を寄せる。
「私と同じだ、ロイエンタール。卿の瞳は美しくなどない。何一つ、美しいわけがあるものか。憎しみを浮かべる瞳の何が美しいものか!」
 吹き込む言葉の合間に耳を愛撫される。また、激情の熱を増した手にペニスを擦りあげられ、再びロイエンタールの官能は高められていく。荒い息の中、『美しいわけがあるものか』と、かつての愛人たちとは全く逆の言葉をぶつけられ、どこか安堵にも似た心地を覚える。擦りあげられ訪れた吐精の後に、ロイエンタールは白い顔を覆い、声もなく泣いた。




 キラキラミッタマに助けにきてもらわないと!ロイさん可哀そう!

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