※文中での表現はまったくのデタラメではありませんが、全ての超早産児・超低出生体重児がこの経過を辿るわけではありません。酷な表現もしていますが、子どもたち・ご家族を貶める意図はありません。ご了承ください。


 生まれ落ちた子どもは、彼女が思い浮かべていた子どもではなかった。
子どもはもっと、ふくよかであったはずだ。子どもはもっと柔らかで幸福の象徴のようであったはずだ。
 出産の後に看護師に連れられていった先で見たこれはいったい何なのだろうか。
看護師は言う。「貴女の赤ちゃんですよ。お腹から出て、やっと会えたましたね」と。
 透明のケースの中で、鳥の巣のような白い囲みの中で、彼女の子どもだというそれは、呼吸を助けているという器械の振動にぶるぶると震えていた。
 赤ん坊というものは薔薇色の柔らかい頬を持っていたはずだ。
だが、この生き物にはそれがない。柔らかで滑らかな皮膚すらない。
ゼラチン質の、皮膚にすらなりきっていないものに覆われたそれは、いくつもの管に繋がれ、無垢な瞳を開けることもなく、ただただぶるぶると震えていた。
 その時のことを彼女はよう覚えていないという。悲鳴をあげたのかもしれない。それとも静かに嗚咽を漏らしたのかもしれない。
 子どもの柔らかな体を抱いて、乳房を含ませ、地球の古い宗教画のように自分もあるのだ、とそんな幻想が崩れ去った瞬間だった。

「未熟児網膜症?」
 問うてからロイエンタールはワインを一口、口に含んだ。乾杯などしない。
口蓋から鼻腔へとふくよかな香りが立ち上る。嫌な相手と飲む酒のくせに上等で、美味だ。嫌な奴が供するのだから反吐が出るような味であってもよかったものを。酒に罪は無いとはいえ、癪に障り、わずかに表情を歪めた。
 オーベルシュタインは、自身の杯にワインを注ぎながらも、歪んだ美貌を目にとめ、にやりと口角を上げた。乾杯すらしようとしない無礼なぞ気にはならない。そもそも礼を尽くすような仲ではないだろう。
「私の瞳は何か、と卿は問うただろう。その答えだ」
 そう答えてオーベルシュタインもまたワインを口にした。掲げたグラス越しに表情を歪めた美貌を見遣る。
「私は未熟児として生まれたのだ。体重はこのボトルよりもずっと軽い。私を産んだ女は、保育器の中の私を見て、ただただ泣いたそうだ」
「ほう、悪魔をこの世に生み出したことを儚み涙したか、女にしては上等じゃないか」
 皮肉を口にしたロイエンタールだが、ワインボトルよりもずっと軽いという赤ん坊など想像が出来ない。もとより、帝国において未熟児はほとんど話題にされない。AD世紀の末期においてさえ、「障害者を作り出す」と揶揄された高度未熟児新生児医療は、帝国ではもちろん劣悪遺伝子排除法の煽りをくらっうことになり、成人医療ほどの発展もせず、細々と維持されていた。
特に、「ワインボトルよりもずっと軽い」、たとえば在胎24週未満の新生児は法律の網にかかり係累もろとも「劣悪遺伝子」として排除される恐れもあったため、「はじめから無かったもの」として葬り去られるのが常であった。
そうした中で医療を受けられるのは貴族や一部の富裕市民だけだったろう。
それでも、生き残った子どもはやはり一族にとっては「無いもの」だった。
 ワインを含み、皮肉を口にするロイエンタールの目元が蒼い。「脆さ」「恐れ」を浮かべた黒い瞳がその色をさらに濃くしたように、オーベルシュタインには見える。「眼」そして「赤ん坊」この二つがこの美貌の青年の「恐れ」の源なのかもしれない。
「早く生まれすぎた赤ん坊は、自ら呼吸が出来ない。血圧を維持することもできない。脳への血流が維持できなければ脳に穴が開く。腹への血流が維持できなければ腹に穴が開く。未成熟な眼内の血管は外界の影響を受けて、出鱈目に増殖していく。治療を施せる状態まで全身が落ち着いていればいいが、そうでなければ治療は伸ばされ、失明に至る」
 自らの過去なのだろうが、口角に笑みさえ浮かべて、淡々と語るオーベルシュタインの心中をロイエンタールは読むことが出来ない。彼の人工の瞳が緑色に光ったように見えて、背筋が粟立ち、グラスを持つ手がわずかに震えた。
それをみとめて、オーベルシュタインは徐に立ち上がる。長身が室内灯の光を遮り、ロイエンタールの眼前に影を作った。
「私も、腹に穴が開いた。壊死した腸を切り取り、繋げられた。何度も、何度も」
 ロイエンタールの脳裏に輝く銀の光が閃いた。
小さな赤ん坊の腹を裂く刃。切り取られた壊死した腸……迫る銀の刃、女の悲鳴。抉り出される眼球。
 手の震えはもう止めることが出来ない。グラスを掴み続けることもかなわず、滑り落ちたそれは床に砕け散り、絨毯に染みを作った。
 色を無くし震える美貌に、オーベルシュタインはますます笑みを深める。近しい者ですらついぞ見たことのない、深い深い笑みを浮かべ、震える白い手を掴み、自らの頬に添える。人工の光を湛える瞳は、恐れに濡れる金銀妖瞳を捉えたまま。
「ロイエンタール、何が見える?卿の瞳には何が見える?蒼い瞳は何を捉え、黒い瞳は何を恐れる?」
 白い手を掴んだまま、頬から口元へと移し、掌に口づける。呟きに口づけを交えて白い手を愛撫してやると、金銀妖瞳を縁取る長い睫毛が震えた。

 迫る銀色の刃、瞳を開けない赤ん坊、小さな赤ん坊、奇怪な瞳を持つ赤ん坊、ゼラチン質に覆われた奇妙な生き物、泣き叫ぶ女。

「……っ!」

 オーベルシュタインの舌がねっとりと指に絡みついたその瞬間、開いた片手で顔を覆い、ロイエンタールは声にならない悲鳴を上げた。


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 ヅカオベはトラウマ抉り放題だよ!ヅカロイは抉られ放題だよ!可哀そう!

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