既に日付も変わろうかという頃、ワーレンは明日早いからと、先に海鷲を辞した。

 つい一時間ほど前までは大勢いた将官たちも殆どが帰路についている。
店員がそこかしこの片付けを始めているのを視界の端に認めて、ビッテンフェルトはそろそろ潮時かと傍らの僚友へ声をかけた。

「おい、そろそろ俺たちも…」

 しかし、彼からの返答はない。
訝しげに眉を顰め隣を見やれば、ロイエンタールは頬杖をついてうつらうつらと船をこいでいた。

 間接照明に照らされて、その端正な美貌の陰影が深まる。
長い睫毛が頬に影を落とす。
その影と灯りに照らされた頬のコントラストがその美貌を更に増していた。
 いつか見た古い絵画や彫像のような。その整った様にハッと目を奪われる。

 絵画や彫像のようでもあり、よくできた人形のようでもある。
なるほど門閥貴族の馬鹿者共が執心するのはこの顔か。妙に納得した。
 太古の伝説でもあるまいに、人形に惚れたりなぞするものか。

 それでも、静かに寝息を立て始めた僚友をすぐに起こすのは躊躇われ、肩を揺すろうとした手は宙に止まった。
 行き先を失った手は数回宙を掴むように動き、そして自らのオレンジ色の頭髪へ辿り着いた。何かを誤魔化すかにがしがしと強く掻き毟る。

 ロイエンタールの姿を見て、そういえば…とビッテンフェルトは思う。
士官学校での4年間を含め、任官後も幾度か顔を合わせ、今日のように酒を酌み交わす機会があったが、ロイエンタールの寝顔はついぞ見たことがなかった。
 嫌味な冷笑を浮かべている姿や、激昂している姿は見たことがある。しかし、これほど無防備な姿は見たことがない。

 ビッテンフェルトの知るロイエンタールはいつも影を背負っていた。その影が何であるかは知らないが、孤独であるとか焦燥であるとか、そういった物のように思う。
 ロイエンタールは実に優秀な男であったし、軟弱とは言い難い男だった。傲岸と言えるほどの自信に満ちているが、その背後には影がある。その影が弱みとならぬように幾重にも鎧をまとい、肩を張って歩いているようにビッテンフェルトの目には映っていた。
 親友であるミッターマイヤーの前ではその鎧を脱ぎ、自らの背負う影をさらけ出しているいるのだろうか。難儀な男だから、親友の前でさえいくつかの鎧をまとっているのかもしれない。難儀な奴だと、改めて思い、ビッテンフェルトはもう一度オレンジ色の髪を掻き、嘆息した。

 静かに規則的な寝息を立てるロイエンタール。幾重にもまとった鎧を脱ぎ、無防備な姿をさらしている。
 この姿は彼にとっての弱みのひとつなのだろうか。彼自身は「弱み」と思うだろう。しかし、ビッテンフェルトには先ほどワーレンと盛り上がった「可愛げ」に思える。
 印象的な両の瞳を閉じたロイエンタールは、その冴えた美貌のために人形のように見えたが、普段のロイエンタールを思うと、その姿はより人間らしいものに思えた。

 人は眠い時には眠ればいいし、怒った時には吠え、楽しい時には笑えばいい、辛い時には泣けばいい。それが健全な人の在り方というものだろう。ビッテンフェルトはそう思っていたし、実行もしていた。
 影を背負おうが、何だろうが、そうあればいい。ビッテンフェルトは眠る僚友に願う。

(眠りたいときには眠るがいいさ。…俺の前で)

 ビッテンフェルトは目を細め、そう心の内で呟いたそして、ん?と首を捻る。今、自分は確かに「俺の前で」と呟かなかったか。
 僚友が人らしく素直に振る舞えばいいと思う。それはいい。実に健全で真っ当な考えだ。
 だが何故「俺の前で」などと思ってしまったのか。ビッテンフェルトの脳裏にはいくつもの疑問符が飛び交う。

(酒を飲んで眠るなど誰でもするだろう?)
(いや、澄まし屋のこいつのことだから、ミッターマイヤーにも寝顔を見せてはいまい)
(俺の前だけで眠ればいいのだ)
(いやいや、何で俺の前だけなのだ?)

 悶々と考えているうちに、想像の翼は羽ばたき、妄想の域に達する。果てには、ベッドの中で眠るロイエンタールを見る自分といった不埒な妄想まで湧き起こり、ビッテンフェルトはさらに強くオレンジ色の髪をかきむしった。
 「ああ」だの「うう」だの「いかん」だのと呻いては、頭髪を掻き毟る猛将の姿に、勘定を告げに来た店員は面食らう。
 店員がすぐそばに近づいても、ビッテンフェルトの脳内劇場は公演を続け、ピンク色がかった妄想に拍車がかかっていく。

(何で、俺とロイエンタールがひとつ布団で朝を迎えなければならんのだ?)
(惚れたのか?惚れてしまったのか、俺は!)

 掻き毟られた頭髪はぐしゃぐしゃに乱れ、ぐるぐると巡るピンク色の妄想に湯気が立たんばかりだった。

「あのう、あのすいません、閣下…恐れ入りますが、閣下…」

 店員がビッテンフェルトに告げるが、何の反応もない。変わらず「ああ」だの「うう」だのと呻いている。酒が過ぎたか不審な行動を取る猛将に勘定と閉店を告げることは諦めるしかない。

「ロイエンタール閣下、恐れ入りますが…」

 店員が小声で美貌の提督に話しかけ、その肩を軽く揺すると、ゆっくりと色の異なる両の瞳が開かれた。青と黒の瞳はとろんと潤み、寝起きで焦点の合わない様は靄がかかったようだ。
 その様子はビッテンフェルトの脳内劇場でもロイエンタールそのもので、ただでさえ地の昇っていた頭にさらに血液が流れ込んだ。ぼんと音が出てもおかしくない程に、あっという間に顔面が赤く染まる。顔面、背中と個所を問わず汗が噴き出る。

「俺は…俺は…惚れてしまったのか!」

 わなわなと唇だけではなく全身をを震わせながらビッテンフェルトは吐き出す。ようやく覚醒してきたロイエンタールや、店員には何のことだかさっぱり理解できない。寝こけた己は棚に上げ、「酒のせいだ」と結論付けて、さっさと勘定を済ませるが、ビッテンフェルトは顔を赤らめたまま不審な行動をとり続け、ロイエンタールは眉を顰めるのだった。

 そして、数日後、ピンク色妄想を恋心と自覚した猛将は、猪突のごとき勢いで愛を叫ぶこととなる。いかに攻守・智勇のバランスに優れたロイエンタールとて、この猛攻を防ぎきることは出来ず、ピンク色妄想のいくつかが現実となるのだが、それはまた別の話である。


FIN


 終わりでございます。だらだらと着地点の見えないお話で申し訳ありませんでした。お付き合いくださいましてありがとうございます。
 要は、「同期いいよね!」と言いたかっただけなんですが…うーん、難しい。

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