ミッターマイヤーの大爆笑をよそに、ロイエンタールのテンションは沈下していく。
 ほとんど最下層まで落ち込んだロイエンタールの脳裏に、ごく近い過去の光景が甦ってきた。


 時は「エントランスホールの中心で愛を叫ぶ」事件より一週間ほど前に遡る。
 漁色家で鳴らしたロイエンタールだが、たまには女以外と過ごす晩もある。
ミッターマイヤーと飲みにいく日もあれば、それ以外の気心の知れた提督連中や部下を伴う日もある。「乾くヒマもない」わけでもないのであった。

 その日、ミッターマイヤーは愛妻エヴァンゼリンが好物を作って待ってくれているのだ、ときっちり定時に帰宅していたし、適当に遊べる女にも心当たりがなかった。
定時は過ぎているものの、まっすぐ帰宅するにはやや早い。
何でもいいから暇をつぶそうと、ロイエンタールは海鷲に足を運んだ。

 例のごとく、そこにはロイエンタール同様に暇な高級士官たちが雁首を揃えてたむろしており、誰かと連れ立って来たわけでもないロイエンタールが夜を過ごすには非常に都合良かった。

 ロイエンタールは一人カウンターに座り、飲みつけた酒をちびりちびりとやりながら肴をつまむ。

 海鷲は将官用のラウンジであって、食事を楽しむ場所ではない。
肴といっても、その数は知れている。ナッツ類やドライフルーツ、チーズといった乾き物中心で、火を通した物といえばソーセージとジャガイモくらいしかなかった。
 その素材の原価が異なるくらいで、軍人用の酒場で供される物には、彼らの階級ほどの隔たりはない。
 ロイエンタールのつまんでいるのも、ドライフルーツにチーズの盛り合わせ、茹でたソーセージに付け合わせの揚げたジャガイモと、同時刻にミッターマイヤー家の食卓に並んでいるものと比べれば、素っ気ないことこの上ない。
 とはいえ、飲むときはさほど食べないロイエンタールからすれば、目の前に並んでいるもので十分であり、職務後の空きっ腹であるからと頼んだものの、いささか多すぎる気さえしていた。

 杯は進むが、やはりドライフルーツとチーズだけでもよかったかもしれない。艶々と油の光るソーセージにはどうにも食指が動かなかった。

 普段なら健啖家の親友が真っ先に食べ終えるのだが、今日彼はいない。

 別に永遠の別れをしたわけではないが、ああミッターマイヤーはいないのだな、と妙に物寂しさを感じた。

 さて、ロイエンタールが一抹の寂寞を感じている間にも、ソーセージとジャガイモはその熱を失っていく。
先ほどまでは艶やかだった表面も、油が冷えることでその光を失っていた。

 ますます食指が動かなくなったその皿に、ひょいと手が伸びてきた。

「おう、ロイエンタール。食わんなら寄越せ」

 その言葉がかけられる前にすでにソーセージは声の主の口に入っている。
ソーセージの行き先を目で追えば、ビッテンフェルトだった。

「おい、断りを入れる前に食う奴があるか」

 ビッテンフェルトをたしなめるのはその横に立つワーレンだ。

 ウェイター役の従卒に空席を確認すると、ロイエンタールの両隣にそれぞれ腰掛ける。

「珍しいな、卿一人か?」

「さてはミッターマイヤーにも美女にも振られたか?」

 それぞれに問いかけられてロイエンタールは些か憮然とする。
たまたま縁がなかっただけで、振られたわけではない。
こちらからミッターマイヤーや適当な女に働きかけた事実がないのだから、「振られた」は不適当だろう。

 金銀妖瞳でぎろりとねめつけてやると、ワーレンはバツが悪そうに苦笑して肩をすくめたが、ビッテンフェルトは全く意に介さず、冷めかけのソーセージをぱくついていた。

「誰がいつ食っていいと言った。己の大声のせいで、聴覚をやられたか?」

 意趣返しとばかりに嫌みをぶつけてやる。が、ビッテンフェルトには堪えていないようだ。

「食わんのだろう?」

「…食わん」

「ならば俺が食っても問題なかろう」

「俺が食わないことと、卿にくれてやることは同義ではない」

「金持ちのくせにとんだ吝嗇だな。卿が食わんから、俺が食ってやるのだ。誰かの胃袋に収まった方がソーセージと芋にとって良い供養になるだろう」

「何が供養か。いつから古代宗教にかぶれた?生ゴミ入れのように何でもばくばくと口に入れているだけではないか」

「生ゴミ入れだと!」

 ビッテンフェルトの声のヴォリュームが一段階上がる

 しゃあしゃあと己の行為がいかに正しいかとのたまっていたビッテンフェルトだが、さすがに「生ゴミ入れ」の言葉は頭にきた。
 確かに、食の細い(もしくは遅い)同席者のおかずをちょいちょいとつまんでやることはビッテンフェルトにとって日常茶飯事だ。
 士官学校時代にも、食堂でたまたま隣席に座ったロイエンタールの皿から相伴にあずかったことがある。
 しかし、これもビッテンフェルトには正しい行いのひとつにすぎない。幼いころから「食べ物を残してはいけない」「バチが当たるよ」と両親や祖父母からの薫陶(と鉄拳制裁)を受けていたためだ。
 ビッテンフェルトにしてみれば、せっかくの食べ物を残してしまうロイエンタールの方が異常に感じられた。

 ロイエンタールはその金銀妖瞳から放たれる温度をより一層下げ、冷やかな視線を注ぐ。対してビッテンフェルトは顔が紅潮し、オレンジの頭髪を逆立てんばかりだ。
 不毛な屁理屈の応酬が延々と続きかねない状況だった。

「まあ、二人ともそれぐらいにしておけよ。そもそも断りもなくひとの皿に手を出したビッテンフェルトが悪い。ロイエンタールもいちいち噛みつくなよ」

 それまで二人の遣り取りを静観していたワーレンがようやく口を出した。
 渋みのある笑顔を浮かべ、穏やかな口調で窘められては、これ以上屁理屈をこねることもできない。こちらが聞き分けのないこどものようになってしまいかねない。
 さすがに癖のある同期たちをまとめあげた元学生長である。ビッテンフェルトとロイエンタールも気勢をそがれて口を噤んだ。


 結局、腹が空いているというビッテンフェルのためにその他の皿も注文し、加えて昔語りも肴にして、同期三提督の杯はさらに進んでいった。

→NEXT

 ビッテンフェルトは賑やかな家庭でちゃんと育ったひとだと思う。お父ちゃんお母ちゃん、じじばば、弟妹、犬と猫、みたいな大家族だといい。
んで、うるさいんだ、ビッテンフェルト家は。
おかずとかチャンネルとか争っていっつもケンカするんだよ。

→Main
→Menu

inserted by FC2 system