ロイエンタールは焦っていた。
 昨日飲みすぎて胃もたれしているとか、酔っぱらってミッターマイヤー相手に女性批判をしてしまった挙句ケンカになってしまったとか、そういった物事を気にする余裕すらないほどに焦っていた。
 地上車を降りて足早に元帥府正面玄関へと向かう。本当なら走って玄関をくぐりぬけて、非常階段を駆け上がり自分のオフィスへ向かいたいところだ。しかしオスカー・フォン・ロイエンタール、生来の恰好つけである。焦ってはいるが、越えられない一線があった。

 神に恵まれた長いコンパスを大いに利用して歩みを進める。幾人かの部下に敬礼されたが、返す余裕はなかった。
 現在時刻08:35。アレの登庁時間まであと10分ほどある。このまま玄関をくぐり、エレベーターホールで待たされることがなければ、今日こそは無事にオフィスへ辿り着ける。
 この時間に登庁するものは少ないわけではないが、ピークよりやや早い。エレベーターホールでそれほど待たされることもあるまい。
 正面玄関のガラス扉をくぐりぬけると、危機からの回避を予感してロイエンタールの肩から力が抜ける。

(昨日も、一昨日も、その前も、玄関前でアレに出くわした。タイミングはすでにずれた。アレの襲撃はもうあるまい。)

 玄関を抜け、エントランスホールを歩く。ここまで来ると、危機からの回避というよりも、ほとんど勝利の確信めいたものをロイエンタールは感じていたが、歩く速度を下げることはしない。戦場では気を抜いた者から脱落していくのだ。

(用兵家たるもの驕ってはいかんな。)

 そう自嘲し、口の端に冷笑を浮かべた。
 その時だった。

「ロイエンタール!」

 あまりの大音響に玄関前の木立に留まっていた小鳥が一斉に飛び立ち、ガラス扉がビリビリと振動する。舟を漕ぎかけていた当直明けの衛兵が跳ね起きる。
 周囲の人間はみなその声の主を注視したが、ロイエンタールは振り向かない。
 どうせ声の主など振り向くまでもなく特定できる。士官学校の同期であるオレンジの髪の猛将だ。

(俺としたことが読みが甘かったか…!)
(絶対に振り向いてはいかん。アレに反応してやるものか。これまで通り無視だ!無視!)

 声の主がわかっていようがいまいが、大音響に身を竦ませてしまうのが普通だが、ロイエンタールはぴくりとも反応しなかった。その胆力たるや見事としか言いようがない。
 だが、無反応という策はまずかった。声の主、ビッテンフェルトも一軍の将である。ここ数日のロイエンタールの無反応に対する策を講じていた。

 (聞こえぬというのならば、さらに声を大にせねばな!)

 猪と陰口を叩かれるビッテンフェルト、彼にとっての策などこの程度だ。オーベルシュタインでなくても冷笑に付すだろう。
 しかし、策そのものは陳腐であっても、圧倒的な兵力を投入することが可能である限り、物量攻撃は有効である。そして、ロイエンタールは気づいていた。数日前に比べて、ビッテンフェルトの声量が明らかに増していることを。

 「ロイエンタール!聞こえないのか!?ならば…ロイエンタール!

 ほとんど最大限に投入された兵力が、猪のごとき勢いを持ってロイエンタールを襲う。だが、名前を呼ばれるくらいなら構わない。大音響に自分の耳がダメージを負うだけだ。問題はこの後…この後に続くセンテンスが問題だった。4日前から繰り返されるそのセンテンスはロイエンタールにとって悪夢以外の何者でもなかった。

 (大神オーディーンでも何でもいいから、この先を続けさせないでくれ!)

 ロイエンタールは柄にもなく神に祈った。だが、困った時の神頼みが通じるほど、世の中は甘くない。ロイエンタールの祈りも空しく、ビッテンフェルトは次のセンテンスのために大きく息を吸った。

「お前のことが好きだ!愛している!」
「俺と付き合ってくれ!」


 完全無視を決め込んでいたロイエンタールだったが、いつの間にやらそばに寄ってきていたビッテンフェルトに大音響でとんでもないことを叫ばれてはどうしようもない。
 周囲の人間は遠巻きに二人を眺めるだけだ。「できることなら関わり合いになりたくない」というのが周囲の人間の本音だろう。中には「関わりたくないが、面白い光景なので、是非最後まで見届けよう」という輩も存在するかもしれない。
 ロイエンタールの肩がふるふると震える。握りしめた拳も同様に震えていた。
 怒りと羞恥と、その全てがもう限界だった。

「うるさい!そばで叫ぶな!朝っぱらから、こんなところで叫ぶ内容じゃないだろう!少しはひとの迷惑も考えろ、ビッテンフェルト!」

 そう早口にまくしたてるロイエンタールの頬は赤い。怒りか、羞恥か、はたまた別の何かか。
 普段クールを装っているロイエンタールのこの姿に、ビッテンフェルトはもちろん、周囲の人間も息をのむ。うっかり可愛いとさえ思ってしまった者もいるだろう。ビッテンフェルトは惚れた欲目も手伝って、ロイエンタールのこの姿が可愛らしく感じられてしょうがない。今日こそは、ロイエンタールに思いを伝えて、色よい返事をもらうのだと息巻いていたものの、すっかり気勢をそがれてしまった。
 ぽっと頬を赤らめるビッテンフェルトを睨みつけ、ロイエンタールは歩調も荒くエレベーターに乗り込んだ。ガッガッと子供のようにエレベーターの「閉」ボタンを押すと語気を荒げて言い放つ。

「いいか、ビッテンフェルト!朝っぱらあんなことを叫ぶな!金輪際するな!」

 そこでエレベーターの扉は閉まり、麗人の姿が消えることで、エレベーターホール前の人々はようやく現実に返る。ビッテンフェルトも含め、それぞれが何基かのエレベーターに乗り込み、各々のオフィスに向かっていった。

(ロイエンタール提督って可愛いかもしれない…)
(ビッテンフェルト提督は何と男らしいのだ…男子たるものああでなければ!)

 この朝の出来事により、目撃者の胸に小さな花が咲くこととなったが、それはまた別の話。
 「朝、公衆の面前で叫ぶ」という部分にのみ言及していたロイエンタール。ビッテンフェルトの愛の告白への拒絶そのものはしていないことに、告白したビッテンフェルトはもちろん、当の本人もまだ気づいていない。
 その後、状況を変えた場面で再度愛の告白に挑んだ猛将に勝利の女神がほほ笑むことになるが、これもまた、別の話。


ビッテンロイっていいですよね。と呟いてみる。

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